プロフィール

改めまして、こんにちは。

私、石井のプロフィールに興味をもっていただき

ありがとうございます!

 

まずは、基本的な所から。

 

氏名:石井 一 (Ishii hajime)

 

生年月日:1979年 11月4日

 

出身地:東京都練馬区

(中野区民まであと150mでした・・・が練馬にプライドを持っています!)

 

血液型:AB型

 

職業:WEBディレクター、セミナー講師

 

家族構成:私、妻、娘

 

好きな食べ物:タンメン・とろけるチーズ

 

嫌いな食べ物:ホイップクリーム・八角の香りがするもの

 

好きな芸能人:木村佳乃

 

AKB総選挙に投票するなら:卒業しても前田敦子

 

特技:ドクロベエのモノマネ

 

趣味:セミナー巡り

 

好きな本:7つの習慣(スティーブン=コヴィー)

 

 

さて、ここからは、もっと私のことを知りたいと思っていただいた

嬉しいあなたの声にお答えして詳細なプロフィールを綴って参ります。

 

少々長くなりますので

お時間の無い方は、スクロールしてご覧になりたい部分だけ

お読みいただければと思います。

 

私が生まれたのは1979年11月4日早朝。

石井家の長男として産声を上げました。

 

体重は3160g。生まれた時から元気な男の子だったそうです。

 

父方の祖父の名前を一部いただき、

同時に姓名判断で「一(はじめ)」と名付けられました。

 

 

3歳で保育園、

4歳からは幼稚園に通い、健やかに成長。

 

ただ、大の恥ずかしがり屋だったそうで、

発表会の時にイモムシ役だった私は

舞台袖から出てこず両親をヤキモキさせたとか・・・。

 

当時の私を知る人からすると、

一がテレビで喋るようになるなんて夢にも思わなかったそうです(笑)。

 

 

 

小学校に入学してからは習い事の毎日。

英語に習字、ピアノ、水泳、そろばん、公文、ソフトボール、サッカー・・・。

こうやって見るといろいろな経験をさせてくれた両親に感謝です!

 

今、幼稚園の長女に何を習わせるか迷ってますが、

授業料だけでなく、送り迎えとか考えるとホント大変ですから。

 

 

ただ・・・

どれも大成せず、1年~2年程度で辞めているのが私らしいです。

 

 

そんな私も4年生になった頃、

ある事実に気づきます。

 

 

「学級委員はモテる!」

 

 

それからです。

人前に出るのに一所懸命になったのは(笑)

 

 

 

しかし、そんな涙ぐましい少年の努力は実を結ばず、

小学生の時は最後まで片思いでした。

 

大好きだった「ちずチャン」どうしてるんだろうなあ。

今頃もう結婚してママやっているんだろうな。

 

まあ、もう20年以上会ってないですから

街ですれ違っても気付かないでしょうが・・・。

 

 

そんなちずチャンが中学受験するというから

私も6年生から塾に行き、

付け焼刃的に受験しますが全滅・・・・。

 

私は地元の公立中学に行くことになります。

 

 

 

そこで始めたのがサッカーでした。

もう当時はJリーグが始まった時期で

日本全国空前のサッカーブーム。

 

モテたい一心の私は、

サッカーに打ち込む日々を送ります。

 

 

同時に、当時好きだった「あきチャン」が

ヴェルディの大ファンだったことから

私もタオルマフラーからTシャツ、チアホーンなどなど

全て揃えて国立へ通ってました。

 

 

あの時は、まさか後に

見ていた選手と一緒にテレビで仕事をするなんて想像もしていませんでしたが、

今となってはJリーグを見まくっていた日々のお陰で

色々とサッカー関連番組のお仕事もさせていただき、

当時好きだったあきチャンに感謝しています。

 

 

ただ、肝心のサッカー自体は

レギュラーと補欠の間をさまよう日々で、

最後まで目立つことはありませんでした・・・。

念・・・(T_T)

 

 

 

高校からは私立の男子校に入学。

男子ばかりの環境で、モチベーションが上がるはずもなく、

一応サッカー部には入りましたが、

ヘルニアを発症し、半年でリタイア。

 

 

そこからはバイト生活の日々を送ります。

 

コンビニのバイトに始まり、

ちらし配りや、専門学校のビデオ撮影係、

イベントスタッフなどなど、

学校にバレないように(バイト禁止でした)

副業に勤しんでいました(笑)

(副業を行うようになった原点はココですね)

 

 

 

しかし・・・

そんな私ですから、学校の授業についていけなくなるのも

時間の問題でした。

 

 

同級生からも現役で東大生が5人位は出る

まずまずの高校だったのですが、

1年終わりの進研模試で

英語の偏差値がまさかの37・・・。

 

 

さすがにクラスワーストの成績で

担任に呼び出され、

 

「受験科目に英語のない大学はないから、お前に行く大学はない!」

 

と一喝されました。

 

 

が・・・・。

 

そんな私に転機が訪れます。

 

高校1年生の終わりに

イギリスへ3週間ホームステイする事になったのです。

 

 

これは絶好の英語を学ぶチャンス・・・

 

 

・・・と思うわけもなく、

 

当時国内ではエアジョーダンやエアマックスブームで

なかなか手に入らなかった中、

ヨーロッパなら在庫がある!!

 

という話を聞きつけ、ロンドン市内の各スポーツショップを巡り、

ひたすら仕入れを行なっていました!

 

もちろん帰国後は友人に高値で転売し、利益をゲット。

 

これが、転売を学ぶ第一歩だったのかもしれません(笑)

 

 

でも、そんなロンドン滞在期間の中で

実は私もかなりイギリスに惚れ込みまして、

これはいつか永住したい!!と16歳の少年は本気で思い、

英語マスターを志すのです。

 

 

ただ、愚直に勉強するわけでもなく、

当時からノウハウ大好き人間だった私は

まだ出始めだった和田秀樹さんの「受験は要領」

などのテクニック本を読みあさり、

最終的には和田氏の受験勉強会にも入会。

 

とにかく徹底的に効率化を図って受験勉強に臨みました。

 

すると、英語、地理、地学の3科目だけ

突出して偏差値70を超えるように!!

(数学、物理、化学などは偏差値50以下)

 

マークシート式の私立を片っ端から受けた結果

・・・

・・・

・・・

なんと早稲田大学に合格!

 

憧れのキャンパスライフがスタートすることになるのです。

 

 

そして、大学といえばサークル活動!

 

その選択基準は・・・・

 

やはり、女性の数でしょう!

 

3年間男子校で日々女っ気の無かった石井少年は

ココぞとばかり、女の子に人気のサークルを探し歩きます。

 

 

もちろんテニスサークルなどにも入会はしてみたのですが、

そこで気づいたのが、確率の問題。

 

テニスサークルは女の子の数も多いのですが、

男子の数はさらに多いのです。

 

 

しかも、高校までテニスをしていた

猛者どもがわんさかいる中で

アピールをするのは至難の業。

 

 

高校時代に和田秀樹氏から

効率化を学んでいた私は

もっと女性比率の高いサークルを探し求めます。

 

 

そこで見つけたのが、「マスコミ系サークル」です。

 

このサークルにはイベントプロデュース系、

番組制作系、そしてアナウンス系と

3つのジャンルがあったのですが、

その中のアナウンス部門には

なんと男子があまりいなかったのです!

 

しかも・・・

 

女の子は女子アナ志望の子も多く、

基本的にルックスのレベルも高い子が多く在籍していました。

 

 

コレ以上書くと、

サークルの仲間に怒られそうなので辞めておきますが、

きっかけは非常に単純な動機でした。

 

 

ただ、ここが人生の分岐点。

 

実際にサークル内でアナウンス活動をする中で

喋りの仕事に興味を持った私は

アナウンススクールにも通い、

アナウンサーになることを決意!!

 

そして・・・意外にも運良く某放送局から内定を頂いた私は

社会人の第一歩をアナウンサーとしてスタートすることになったのです。

 

 

 

アナウンサーとしての仕事は多岐に渡りました。

 

最初はニュースから学び、

次にCMなどのナレーション、番組リポーター、スポーツ中継などと

徐々に仕事の幅を広げ、

番組MCなども担当することが出来ました。

 

 

現在も一部お世話になっている番組がありますので

あまり詳しくは言えませんが、バラエティ番組などでは

ジャニーズのタレントや、

柴咲コウさん、阿部寛さんといった俳優さん、

M-1決勝クラスの芸人さん、

えびちゃん、もえちゃんらモデルの方々、

アーティスト、プロ野球選手、Jリーガー、

オリンピック選手、等々・・・・ともご一緒させていただくなど、

局アナ時代は本当に沢山の方とお仕事をさせていただきました。

 

 

ハッキリ言ってテレビの仕事は

本当に楽しい部分も多々あります。

タレントの方とのお仕事は刺激もありますし、

周りの方の反応なども大きいためやりがいもあります。

 

 

ただ、その一方で、

このテレビ業界の当たり前が怖くなる瞬間があるのです。

 

 

たとえば、テレビで皆さんが見ている1分のシーンを繋ぐのに

どの位撮影するかご存知でしょうか?

 

 

ロケ映像の場合大体1分使うためには1時間位テープを回します。

スタジオ部分でも大体4分の1くらいしか使われていません。

 

 

言うなれば無駄の多い世界。

よく言えば、本当に上澄み液だけをすくい取ったような世界。

 

 

完成したもののクオリティは

予算が桁違いにかかるだけに

一般的な映像編集などとは比べ物にならないVTRが出来上がります。

 

 

ただ、そこに関わるアナウンサーの自分の力はごく僅かです。

 

気づいたら一言しか喋りが使われていないこともザラです。

(喋りが下手とかいう問題ではなく、編集上の問題で)

 

すると、今日1日自分が何をしていたのか

よく分からないような感覚に陥るのです。

 

 

それにもかかわらず、毎日が本当に競争です。

 

毎日その1分の出演のためにみんな必死なのです。

 

この世界、露出がなくなれば、それは必然的に終わりを意味します。

 

あまりご存じないかもしれませんが、

地上波で顔出しが出来るアナウンサーというのは実は非常に少なく、

その裏で仕事のない1日を過ごすアナウンサーも多々いるのです。

 

 

実際に知っているアナウンサーを挙げてもらうなら

おそらく限られた人気女子アナと、男子に関しては安住アナと羽鳥アナ位しか

大方の方は名前が出てこないのではないでしょうか。

 

 

そんな中で、日々アナウンス部のデスクに気を使い、

番組プロデューサーに気を使い、

ディレクターにも気に入られるための努力をし、

目一杯準備をして世の中に反映されるのはごくわずか。

 

 

でも高い給料をもらっているんだから文句を言うな、

というのがこの世界の常識でした。

 

 

しかし、このまま自分がこの世界にどっぷり浸かってしまうのも

怖くてしょうがなかったのです。

 

 

もっと自分にできる事があるはず。

 

そして、もっと違う部分で自分のスキルを伸ばしたい。

 

 

そんな日増しに強くなる中で、

30代に突入した直後、局を離れる決意をしました。

 

 

当然、家族は反対しました。

約1000万あった年収を捨てるのですから当然です。

 

しかも、私には貯金がありませんでした。

テレビの世界で自分を磨くためには自己投資も必要で

とにかく自分にお金をかけてきた20代でした。

 

同時にマンションも購入した後だったため、

ローンから逃れることも出来ない状況だったのです。

 

 

それでも会社を退職しました。

 

何故やめたのか??

 

 

それは・・・第一に、好きなことを実現出来るからです。

 

 

ここで重要なのは、私の好きな事が何か?

という点ではありません。

 

そうではなく、

自分がやりたいと思ったこと、

付き合いたいと思う人脈、

そして、自分の好きな時間の使い方、

これらが何でも実現できる環境が手に入るという点が

最大の魅力だったのです。

 

テレビ局の仕事は、楽しさも多い半面、

1日の内15時間拘束は当たり前という時間を奪われる商売です。

 

また、依頼された仕事は断りたくありませんので、

休みがなくなろうともロケなどを繰り返すと、

1ヶ月の内休みが2日程度の事も普通ですし、

20連勤になることもあるのです。

(労基法に抵触しそうですが、休みの日の時間外勤務も含めてです。)

 

ですから、当然プライベートなどはなく、

家族を犠牲にする人も多いので離婚率が高いのも特徴かもしれません(泣)

 

 

 

また、よく、多くの方に、芸能人や著名人と一緒に仕事が出来ていいね!

などと言われますが、正直プライベートでの付き合いはほぼありません。

 

局のスタジオや控え室などで会話を交わすだけで、

向こうは局の人間として気を使って話してくれますが、

それ以上でも以下でもなく、カメラが回っている時以外は

こちらも事務所の方などに気を使いますので

余計な話はしないようにするなど暗黙のルールがあります。

 

ですから、「この後ご飯いきますか??」

なんていう会話もなく、撮影終了とともに

「お疲れ様でした~」とあちらこちらで同時に声がすると、

マネージャーとともにサーッと楽屋へ消えていき、

あとはそのまま解散です。

ですから、感覚的には、スタジオ観覧されているお客さんと

ほとんど変わらないと言ってもいいかもしれません。

 

 

しかし、その一方で・・・タレントさんなどとお付き合いがある方々もいます。

それは、接待できる資金力のある方々です。

 

要は、タレントを連れていけるような個室のある飲食店や

「言ってみたい!」と言われるような一流レストランなどへ

グループで連れていけるだけの資金があればいいのです。

 

最初から1対1なんてありえませんから、

マネージャーとともに接待するのはマスト。

なんならメイクさんやスタイリストさんも一緒に位の勢いで誘うのが

仕事後も接点を持つための基本です。

 

 

つまり、相手にメリットを提供できる人たちだけが、

プライベートな部分まで立ち入ることが出来るのです。

 

それを考えた場合、局アナという立場は仕事中も気を使うだけ使い、

その後のお付き合いには発展しないという

実はあまり美味しくない商売だったりします。

(ただし、人気女子アナは誘われる側なので美味しい仕事です!)

 

話が横にそれましたが、

局アナという仕事は、夢の様な世界をすぐ間近に見ながら

実は立場的にも金銭的にも縁がないという歯がゆさも感じているのです。

 

ならば・・・・

 

「稼げばいいじゃないですか。」

「お金さえあれば、そのVIPの世界へ入れるなら、稼げばいいんでしょ。」

 

 

何を思ったか、いつの間にかそう考えるようになっていたのです。

 

そこには、「思考は現実化する」や

ザ・シークレットに代表されるような「引き寄せの法則」

などで言われる、セルフイメージ次第で何でも叶えられるという認識が

どこかにあったのかもしれません。

 

稼げば自由が手に入り、理想の世界を自分の手で作ることができる。

 

今考えると、少し甘すぎるなと反省する部分もありますが、

当時の自分は本気でそう考え、行動していました。

 

 

 

そして、もうひとつ、やめた理由があります。

それは、インターネットの世界に、テレビ以上の魅力を感じたからです。

 

ここで、どちらのメディアが優れているとか論じるつもりもありませんし、

今でもテレビに勝るマスメディアはないと感じています。

 

ただ、インターネットの持つ可能性は、無限の広がりを感じました。

 

中でも、個人の可能性を究極まで高めてくれるツールであることは

間違い無いと思います。

 

アナウンサーになった時の志は、

「人々の毎日の生活により感動を。より笑顔を。より幸せを。」

というものでした。

 

確かに、テレビの仕事をする中で、

より多くの人に見てもらえることでの影響力の大きさは実感していました。

 

しかし、番組の中心はタレントや大御所のコメンタリーであり、

アナウンサーに求められることの多くは事実を正しく伝えることであったり、

つなぎであったり、まとめだったりするもので、

自分というフィルターを通して人々に何かを伝える機会はそれほど多くありません。

 

ところが、インターネットは例え個人であれ、企業であれ、規模は関係なく、

発信者のメッセージを伝えたいだけそのまま受け手に伝えることができるメディアです。

 

 

その中で、自分の力で誰かの人生により付加価値を提供できる、

そんなワクワクする仕事が出来るならやらないわけにはいきません。

 

 

 

そして、私は退路を断ってこのネットビジネスに取り組むことにしたのです。

 


 

 

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